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無宗教という意味

日本人はなぜ無宗教なのか 日本人はなぜ無宗教なのか
阿満 利麿 (1996/10)
筑摩書房

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これを読んでレポートを書いてこい、というのが今回の倫理の課題。興味をそそられるタイトルでしたが、私には難しかった…(T_T;)
折角なので書いたものを載せておこうと思いました。。まだ書いてない友人は参考にどぉぞ♪といってもこれで原稿用紙3枚とちょっとだけんど…。


『無宗教という意味』

 私は小さい頃、仏教の幼稚園に通っていた。そして光塩の初等科へ入学し、キリスト教の学校に通い始めた。私がまだ小学校1年生の時、私は母に尋ねたことがあった。
 「仏様とキリスト様はお友達なの?」
と。母は返答に困ったという。この本を読んで、私のこの時の質問は、日本人である証のように思った。
 私がこの質問をしたのは、どちらも同じ事を言っていると思ったことにあった。お友達と仲良くしましょう、嘘をついてはいけません、こういった教えを双方から受けたからである。例え話や登場人物が違うだけではないか、と素直に感じていたのだ。
 無宗教という言葉の持つ意味が、日本と海外では大きく違うことを知り、とても驚いた。持ってはいけない感情かも知れないが、一神教の国の方が少し怖いように思う。他を排斥する傾向が強いからだろう。
 それを思うと日本は、日本の文化が神社仏閣を観光地としてみなしていたり、我が家のように仏壇と神棚が同じ居間に祀られていたりと、文化の一部として一般化している。寛容である、と日本人からすれば思うが、外国人からは信念や信心がないように思われるのだろう。
 その一方で、先ほど私も思ってしまったように、宗教を怖いと思う気持ちが少なからずあるのだ。宗教というだけで詐欺まがいの集団やテロを起こすような集団を想起し、不信感を抱いて、宗教という言葉すら恐れる。そして、その心理はいつのまにか日本人を「無宗教」と語らせているのだ。
 誰しも子供の頃から自然と持っている感情があると思う。赤ちゃんが微笑むと周りが笑ってくれる、ということを知らないうちに学習し、笑うことを良いことだと認識するようになっている。それと同じように、誰が教えるでもなく、先祖を敬う心や人を想う心を持っているのだと思う。それが形となり、また啓発させるものとなるのが、宗教そのものなのではないだろうか。私が小さい頃に抱いた疑問も、そこに帰着するように思う。
 現在の日本には、無宗教という言葉が先走り、何も考えないまま文化に溶け込んで生きているだけという印象を受ける。中世に念仏思想が生まれたことは、死後の世界を恐れることのない、ゆとりある人になりたいのだと思ってのことで、とても納得できる。現代には、心のゆとりを持とう、とするゆとりすらないのではないだろうか。
 創唱宗教を選ぶことも、何を選ぶこともなくいることも、優劣を付けることなどできないと思う。現代の日本人の多くには、創唱宗教において言われる回心を行っていない人が多いからこそ、改めて自身のあり方を見つめ直し、また他を理解する心を養う必要があると思う。それと同時に「無宗教」という言葉の意味を把握することが、本当に大切なことなのだと感じた。


時間があればもっとちゃんと読みたかったな…。読み込んでないことが教師にばれないといいのですが…笑。
なんだか難しいですよね。でも深いからこそ意味のある、おもしろみのある分野でしょうね。つたない文章でごめんなさぁい;
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