11
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

稲取温泉と河津桜ツアー。

無事に国試を終え、春休みを満喫しております。部屋を片付けて、断捨離しながら、新生活準備をしています。春から神奈川県に一人暮らしが決まったので、色々と準備中。準備するのはお金かかるけど楽しいね(*´ω`*)

さて、小学生からの友達で院生の子と卒業旅行してきました!はとバスで!!笑
お手軽日帰りツアーで、「稲取温泉と河津桜」というコース!9980円で豪華なお昼ご飯に、種類の豊富な温泉、つるし雛を見学して、河津桜を見にお散歩するという大満足コース!!友達も私も重たい一眼を抱えたカメラ女子。お互いカメラに夢中になりながら、たくさん思い出を収めてきました(●´◡`●)

つるし雛は一度見てみたいと思っていたもののひとつ。端切れでできた手作りのモチーフにはひとつひとつ意味が込められていました。桃、桃の花、お雛様、うさぎ、俵のねずみ、草履、唐辛子、ふくろうなどなど…。手作りと思うと本当に愛情たっぷりだなぁと感動するし、雛人形の周りを鮮やかに彩っていて、とても美しかったです。
fc2blog_20150225210302202.jpg

河津桜は2/24で7分咲きといったところでしょうか。今週末には観光客でもっとすごいんだろうなぁ。川沿いや駐車場から川までには出店がたくさん!わいわいとした賑わいでお祭りムード全開。さくら餅、おまんじゅう、ワサビを使ったあんバタわさこなど…。ワサビ系は怖くて手を出せない私でしたが。笑

河津桜は丸くぽてっと咲いているところや、ソメイヨシノより赤みが強いところがとても可愛らしかったです。菜の花の植えられている箇所もあり、ピンクと黄色のコントラストの華やかに春を感じずにはいられませんでした。青空で満開だったらもっとすごいだろうなぁ…今週末ごろに期待ですね(*^^*)


はとバスはやはりハズレがないという印象。1泊したかのようなボリュームで、大満足の1日でした♪また違うツアーにも行きたいなぁ!

旅の思い出をパチリ☆
スポンサーサイト

膨らまないケーキを作らないために。

お久しぶりですこんばんは!

4月からポリクリが始まり、忙しい週はめちゃめちゃ忙しくて、レポート終わらなくて友達の家泊まったりしてました( ´・ω・`) 大学そばのみなさんお世話になりました;;ほんとに近くに住みたいよーう。

まぁゆとりの週もあると思うので、そうゆうとこに期待しましょう笑



さて、患者さんのレポートのみならず、今回レポート課題がありました…面倒だなーと正直思ってたけれど、書いてみたら結構面白く書けた(と自負してみたw)ので載せてみます笑

医療安全管理学のレポートなんですこれ。ふざけてないよ、真面目だよ。カタカナで文字数を稼いだ感は否めないけどね☆



*******
スイスチーズモデルを日常経験で突破したと思われる事例
  ――膨らまないケーキを作らないために 

 以前家でパウンドケーキを作っていた時のこと、全ての材料を型に流し込んでオーブンで焼いて、期待しながらオーブンを開けると、そこにはほとんど膨らんでいない潰れたケーキのようなものがあった。ベーキングパウダーを入れ忘れていたことに、焼きあがってから気付いたのである。この経験を踏まえて、私はなぜ焼き上がりまで入れ忘れに気づくことができなかったのかを考えてみることにする。
 まずレシピを見てから買い物に行く際、買い揃えるべき材料を頭の中に記憶しただけでメモを作っていなかった。そのためカゴの中身を点検してもベーキングパウダーがないことに気付かなかった。ふたつめとして、お菓子作りを始める前に一通りの材料を並べておかなかったことがあげられる。レシピの材料一覧を見ながら、必要な材料と器具を一度キッチンに出してから作業をすれば、作業効率を上げられるだけでなく、足りない材料や器具に気付くきっかけがあっただろう。もうひとつは、調理中にレシピを見なかったことがあるだろう。レシピを念入りに見ながら作業をしていれば、小麦粉を篩う時に、ベーキングパウダーも篩っておくことに気付くはずである。一つめと三つめは能動的ミス、二つめは潜在的ミスであるといえる。以上のチェックポイントを通過してしまったことにより、ケーキは膨らまなかったのだと思う。
 では他にどのような対策ができただろうか。まず家族、友達と一緒と一緒に調理をしていればレシピをダブルチェックすることができ、入れ忘れを防ぐことができただろう。また、すでにベーキングパウダーの配合したホットケーキミックスを用いていれば、フールプルーフとして機能したと思われる。ベーキングパウダー以外にも卵白を泡立てたものを少し加えるレシピにしておけば、忘れた場合にも多少は膨らむことが予想されるためフェイルセーフとなったかもしれない。
 このように日常生活においてもスイスチーズモデルは存在しており、常に自分の行動を振り返ってミスを減らしていくことの重要さを考えることができた。


800文字です!
書いてて楽しかったなぁ(*´ω`*)笑

明日の試問が終わればGW!東北の病院見学して観光して楽しんできます!そして引き続き、ポリクリがんばりますっ(((o(*゚▽゚*)o)))

成人式の振り袖は何を意味するのか。

明日は成人式!
そのことはまたゆっくり記事を書くとして。
今日、早稲田オープン科目で取っている「身体表象論」のレポートを完成させました!やった!

理系のレポートってやることの手順=実験手順で、それに考察を加えていくからいいんですが、文系のレポートって自分で筋道立てなきゃいけないから難しいですね。でも書いてて楽しかったなー。なんてゆうか、やっぱ文系なんだよあたしの脳は笑

身体表象論、ほんと楽しいです(>_<)
1月あと3回しかないなんてさみしいなー。でも1月末まであるので、本業である医学のテスト勉強がやばいですね。まぁ頭使って楽しい思考の時間って感じで、過ごさせていただきたいと思っています。

前に記事に説明書いたけどきっと「身体表象論ってなんやねん」って感じだと思うので、
レポート書けたのを載せてみようかなと思います。お暇があったら読んでみてください。こんなことを勉強しています。いや、ほんとはもっと濃い内容ですが。

自分が成人式なこともあって、振袖の身体表象を歴史と現代を比較してみました。
明日がいい成人式になりますように。
楽しむという意味でも、素敵な大人になる階段という意味でも、ね。





「成人式の振り袖は何を意味するのか」

1.はじめに
 今年も1月になり町には振り袖を着た新成人の姿が目に飛び込んでくる。毎年彩りに感嘆していたが、今年自分も成人式を迎えることになり、振り袖を着て気分を改めるその意味が気になった。七五三のような他の和服を着る行事とは異なる意味をもつのだろうと考えた。成人式という形はいつから取られたのか、昔も今も成人式によって感じる心境の変化は同じであるのだろうか。まず成人式の歴史を見るところから考えていきたい。

2.成人式の歴史
 成人式は時代や地域、また公家・武家・庶民と階層によっても異なっているが、男子は元服や成年式といって十二から十六歳に、女子は髪上げ・成女式として十三歳前後に行われた。元服は平安時代の貴族男子の成人式で加冠とも言われ、童形の髪を解いて髻を結い、冠を付けた。武家の場合は烏帽子をかぶった。女子は髪上げといい、垂らしていた髪を頭頂で結いあげ後ろに垂らした。また袴の上に裳をまとう裳着は結婚年齢に達したことを表していた。公家や武家では、服装や髪形といった身体表象を改めることで、成人という段階を踏んでいた。
 一方農村においては、労働能力、戦闘能力、生殖能力などの体力面から成年と認められると、若者組・娘組に加えられた。1)
 現代の成人式の形は1946年11月22日、敗戦後復興途中の若者を鼓舞するために埼玉県北足立郡蕨町で開催された「青年祭」がルーツであると言われている。2)着物は高級品であり買うことのできない人も多かったが、国民生活水準の上昇により成人式に女子は着物で参加するという事が定着していった。3)
 戦後の成人式の意味は前述のそれとは異なっているようである。しかし振り袖を着て歩く新成人がいるということは、成人式が一般化行事化した、ということ以外に理由は考えられないだろうか。

3.内面美が外面美に現れていく時代、外面美を作り出すテクノロジー
 平安時代の貴族の風習を思い出すと、女性の顔は垣間見によってしか見ることが出来ず、女性とやり取りをする和歌が美しいと、この人はどんなに美しい女性なのだろうと、男性は胸を高まらせていた。このことから思うに、人の内面の美しさが外面の美しさを思わせていた時代があった。
 現代では技術の発達によって外面美を作り出すことが可能になった。代表されるのが美容整形の発達、化粧品の研究が進んでいることなどである。これらは簡単に人が望む美しさを手に入れることに貢献した。つまり、現代では内面美を求めることなく、外面から変わっていくことができるのである。
 美容整形をすることで明るい性格になることができた、といった例があげられる。これはハロウィンの仮装をすることによって、いつも出せていない違った自分を放出する、外見が変わることで心境をも変えていくということに似ている。外面を変えることで気分を一新すること、これは現代の新成人のもつ成人式の意味に近いのではないだろうか。

4.現代に残っている成人式の形
 現代の成人式に元服などの名残があるために着物を着る、ということはありながらも、元服と同様の意味づけがあるとは言い難い。外面美を作り出すテクノロジーが発展した現代では、内面から美しくなろうという思想に欠けているだろう。振り袖を着ることによって外面を成人という表象にし、安易に世間に認められる方法を手に入れた。星の複雑な並びが星座の形として一般に認められていったように、振り袖という表象の共有によって客観的現実である「成人」になろうとするのが現代の成人式ではなかろうか。
 また、振り袖を着ることで非日常の晴れという環境に身を置き、それだけで感情は高ぶるだろう。まさにハロウィンの仮装と同じ、祭りの状態である。中学以来会っていなかった同級生に再会して同窓会が開かれる、祭なのである。成人式は単純なお祝いである七五三とは異なり、意味のある通過儀礼であったはずだ。現代に残っている成人式がお祭り騒ぎで会場が荒れてしまっていることの説明に繋がるだろう。

5.考察とまとめ
 武家や公家は身体表象の共有を用いて、客観的現実とともに自身をその家を継ぐものとして鼓舞していった。農村においては表象なくしても内面から磨かれたものが成人として認められた。現代では成人式という行事を楽しむだけで、身体表象を作っても内面を伴わせようという意識を持つ事が少ない。これは外面美を容易に作れるようになった現象と一致しているように思う。内面を伴わない成人が祭りとして楽しんでいる成人式であるのだから、成人式が荒れるニュースが流れるのだと、現代人の心の動きを考察することが出来るだろう。

6.おわりに
 成人式が荒れたというニュースは一部に過ぎず、多くは楽しみながらも成人式をひとつの通過儀礼として心境を改める人も多いだろう。晴れ着を着た時に感じる、お祭り感覚より上級な、身の引き締まる感覚を経験すればよいのだ。そうすれば、成人式という日本伝統文化を味わいつつ、成人の自覚を持つ事が出来るだろう。身体表象は自己に反映されるはずのものである。それゆえに、振り袖という身体表象を自分の意識の形成に役立てていくことが望ましいだろう。

7.参考文献
1) 常識として知っておきたい日本のしきたり(丹野顯 PHP文庫 2007年第1版,p50-51)
2) 成人式の歴史と成人式について http://seijinsikii.seesaa.net/
3) 着物と成人式の歴史 http://www.mgu.ac.jp/~jfmorris/Sotsuron/2001/IshikawaNanae/Ishikawa.htm




身体表象は自己に反映されます。
振り袖パーティに終わらないように、自覚もたなくちゃ!

はいんりひ・はいね。

毎日うだるような暑さですね。
東医体終了後はバイトと高校時代の友達に会う日々です。
そんな合間に、数少ない夏休みの課題をやってみました。

選択科目「ドイツ語文化」の課題なので、そんなに気合い入れなくていいんだけどさぁ
やり始めるととまらないんだよねぇ
なんてったってセミ文系だからww

ドイツ語文化の課題は自由課題でした。
いつも授業でなにしてるかっていうと、ミュージカル「エリザベート」やオペラ「こうもり」などのDVDを鑑賞し、時たま先生が解説してくれるというゆるい授業で、いつも部活前の90分をのんびり休憩している感じです^^*
そもそもエリザベート好きな私にとってはかなり楽しくて、出てるだけで単位もらえるなんてという感じ。
まぁレポートあるけどね。

で、自由課題はハプスブルク家についてだと広くて止まらなくなりそうなので、エリザベートが愛した革命詩人「ハインリヒ・ハイネについて」としました。
ハイネ軽く調べてる人がこのブログにたどり着いたらラッキーだろうし、エリザベートがハイネを愛した理由がなんとなくわかって面白かったので載せてみます。
そのほかカテゴリーなんてひさしぶりだなぁ笑

::::::::::::::::::::::::::

「ハインリヒ・ハイネについて」

Ⅰ.はじめに
 前期ドイツ語文化授業において、長くミュージカル「エリザベート」を扱った。その中で、エリザベートがハインリヒ・ハイネの詩を愛し、フランツ・ヨーゼフと離れて旅をしている時などによく読んでいたことを学んだ。エリザベートはハイネの詩のどのようなところに惹かれていたのか。ハイネについて全くの無知であった私は、ハイネの詩を知ることによって、ドイツ語文化のひとつの文学としての観賞のみならず、エリザベートの心情理解に繋がるのではないかと思い、ハインリヒ・ハイネについて調べ、実際に詩を読んでみることにした。

Ⅱ.ハイネの人物像
 1797年(生年月日には諸説ある)ドイツのライン河畔のデュッセルドルフ市に生まれる。両親はユダヤ人。ハイネの幼少時代、デュッセルドルフ市はフランス革命軍に占領され、封建ドイツの制度が除かれた明るい自由と平等の空気が漂っていた。だが、彼の家に泊まっていたフランス軍の鼓手によってフランス精神を叩き込まれ、ハイネが革命の詩人となる基盤を作ったともいえる。また、ユダヤ人であったことから、近代ドイツ社会であらゆる圧迫を受けており、ユダヤ主義やドイツ人の卑屈への嫌悪と憎しみを持っていた。しかしドイツの国自体への愛国心は強くあった。
 1827年「歌の本」を出版。ロマン主義的であり、詩人の若々しい情熱や苦悩が民謡調で鮮やかに映し出されている。大部分は作者の恋愛体験から生まれたものであり、「若き悩み」「抒情挿曲」「帰郷」「ハルツの旅より」「北海」の五部からなる。「ローレライ」を含む「帰郷」の諸作は長く愛されている。
 1830年に起こったフランス7月革命により、ハイネは社会活動家としてドイツ解放のために呼びかけるが革命の春は祖国から遠く、自発的にフランスに亡命する。パリに移り住んでから様々の文筆活動を展開するようになり、空想的社会主義の思想の論著「ロマン派」や「ドイツ宗教・哲学史考」を残す。1843年にマルクスと知り合い、共感共鳴し、自分の革命的本質を「詩人」として発揮していくことになる。「ドイツ 冬物語」「アッタ・トロル」「新詩集」などの長編叙事詩が代表作である。
 1846年頃からハイネは不治の病である筋委縮症にかかりながらも、「歌の本」「新詩集」に次ぐ三大抒情詩である「ロマンツェーロ」を執筆。これはドイツ、フランスの近代詩へ影響を与えていった。
 ハイネは単なる抒情詩人とも革命詩人ともくくることはできない。死に臨んだ晩年まで衰えることなく続いた永遠の若さと向上性が彼の精神を特徴づけており、詩的使命を果たした伝説や謎が多い詩人であるといえる。

Ⅲ.ハイネの詩を観賞する
 まず、ハイネの若かりし頃の詩についてここでは「歌の本」より「ローレライ」を取り上げてみたい。
 ローレライは、ライン川流域の町ザンクト・ゴアルスハウゼン近くにある、水面から130mほど突き出た岩山のことであり、スイスと北海をつなぐこの河川でも一番狭いところにある。ローレは妖魔、ライは岩を意味する。あらゆる詩人がローレライをテーマに詩を残している。また、フリードリヒ・フィリップ・ジルヒャーやフランツ・リストなど多くの作曲家がハイネの詩に曲を付けている。
 ローレライにたたずむ金色の櫛を持った美しい少女に船頭が魅せられると船が川の渦の中に飲み込まれてしまうという伝説を詠んでいるといえるが、従妹アマーリエへの失恋の傷心から生まれた詩とも考えられている。繰り返しの美しい技法となだらかな佳調が連続しているが、水の中に導くことに不可抗の狂乱を描いており、最後の破壊的な一節がハイネらしいといえる。

 また、革命的な詩についても扱ってみたい。「ロマンツェーロ」より「世のならい」を引用する。この詩は聖書のルカ福音書第19章第26節から生まれた皮肉と言われている。ドイツ政府のユダヤ主義に対抗しキリスト教に改宗するはめになったハイネの歴史を考えるとおかしくない。病魔におびやかされながらいわゆる「しとねの墓穴」から歌った、社会悪の矛盾を貫いた絶唱といわれる。階級社会の現実をえぐり出し、第二節はさらに痛切に「生きる権利」を通して、下らない人間の批判を行っている。わざとらしい詩的表現を使わず平易な言葉で書かれ表現されているところに秘められた破壊力がある。

Ⅳ.ハイネの詩からエリザベートの思いを考える
 エリザベートは父の持つ自由な気風を受けて育つものの、オーストリア皇帝の嫁として王室に入り、封建的な生活を送ることになる。このことに耐えられずに放浪の旅をし、しばしばゾフィと対立をしていた。
 ハイネの詩は見て来た通り革命的である。ハイネは、戦争をやめて、平和のために諸国民が団結すべきだという主張を持っていた。エリザベートはというと、封建的な制度の籠の中で自由を奪われ、政治の場に意見をすることはできなかった。また、フランツ・ヨーゼフはエリザベートの美貌を連れて様々な条約締結を成功させてきた。一部の国同士の繋がりを作っていくこと、階級を付けることによる統治に疑問を抱きながらも、それに意見できず政治を進めるハプスブルク家について行くことしか出来なかったエリザベートにとって、声を大に叫ぶハイネは憧れであり、尊敬する人物であったのではないかと思う。ハイネの詩を読むごとに、一層自由に対する羨望も強くなったのだろう。
 ハイネの恋愛に関する詩をとっても、情熱的で自然を愛した描写がエリザベートの心をくすぐっていたのではないだろうか。ハイネの詩にあるような雄大な川、森を感じる機会はなく、皇后となっては恋愛に溺れることもない。あらゆる面で感じられるハイネの強さと自由さのある詩は、エリザベート自身持つ事が叶わない欲求として具現化されており、エリザベートが陶酔していたのではないかと考える。

■ローレライ   (「歌の本」より)

どうしてこんなに悲しいのか
わたしはわけがわからない
遠い昔の語りぐさ
胸からいつも離れない

風は冷たく暗くなり
しずかに流れるライン河
しずむ夕陽にあかあかと
山のいただき照りはえて

かなたの岩にえもいえぬ
きれいな乙女が腰おろし
金のかざりをかがやかせ
黄金の髪を梳いている

黄金の櫛で梳きながら
乙女は歌をくちずさむ
その旋律はすばらしい
ふしぎな力をただよわす

小舟あやつる舟人は
心をたちまち乱されて
流れの暗礁も目に入らず
ただ上ばかり仰ぎみる

ついには舟も舟人も
波に呑まれてしまうだろう
それこそ妖しく歌うたう
ローレライの魔のしわざ



■世のならい (「ロマンツェーロ」より)

どっさりありゃすぐにまた
うんとどっさり殖えるだろ
ちょっぴりしきゃ無えやつあ
そのちょっぴりも奪られちゃう

無一文なら仕方がねえ
墓でも掘るさルンペンさん
生きてる権利があるなんざ
なにかもってる奴だけさ


元となった聖書:ルカによる福音書第19章26節
「ムナ」のたとえ より
『言っておくが、誰でも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまで取り上げられる。』


Ⅴ.おわりに
 ハイネを全く知らなかったが、彼の生涯・作品を調べていくうちにエリザベートが好んでいた理由が私なりに理解することができた。上に取り上げた作品以外にも目を通したが、はじめの頃に書かれた詩からは妖艶な美しさを、晩年に描かれた風刺的な詩からは荒々しさを感じ取ることが出来る。同じ人物が書いたとは思えないようなものもあった。一人の詩人の経験、環境が大きな感情を作り変えていくことになることを肌で感じた。昨年ドイツ語を履修していたとはいえ、元の詩を味わえるというレベルではないため、ドイツ語を理解していたら一層詩の観賞に何か感じることがあったのではないかと思い、残念である。
 ハイネの詩を読むことで、作品のみならずエリザベートの心情理解にも繋げることができて良かった。今後もヨーロッパの歴史を追う機会があれば、ハイネら革命家の存在が与えた影響を考えていきたい。

Ⅵ.参考文献

世界詩人選08 ハイネ詩集 井上正蔵 訳 (小沢書店1996年 第1版) 
ハイネ恋愛詩集 田中克己 訳 (角川文庫 昭和53年 第22版)
ハインリヒ・ハイネ―愛と革命の詩人― 井上正蔵 著(岩波新書 1981年 第20版)
聖書 (日本聖書協会)
ウィキペディア(文献中に登場した人物、歴史的順序を調べるために用いた)

:::::::::::::::::::::::::::::

こんな感じです。
他のも書き終えたし、これで夏休みのレポは一応終わり!
だって夏休みもあと2週間切ってるからね!

orz

ということで、皆様もよい夏休みを。
ハイネをペタリ☆

芸術とは何か

選択科目である哲学は、出席とA4のレポート1枚でいいわけで。
セミ文系の私にはすごく楽しい教科なんですね。笑

授業中にひとりひとつ、気に入っている芸術作品を紹介していて、その作品について、もしくは「芸術」についてというテーマが与えられました。私が授業で紹介したのは、ミュシャの「百合の聖母」。高校時代にミュシャ展に足を運び、そこで見た中で最も印象的であった絵です。しかし紹介の時にもう百合の聖母については語ってしまったし…と思って、結局芸術とは何か、論じてみました。

少し前に山手線でセインカミュの英会話クイズみたいなミニ番組をやっていて、
パブロ・ピカソの名言「芸術とは我々に真実を悟らせるための嘘である」
Art is a lie which enable us to realize the truth.
というのが取り上げられていて。
そうぞうりょく。で走り書きしたことにつながると思い、ちゃんとレポートにしてみたのでした。

ネットで改めて調べてみたら「芸術は、真理を悟るための、虚構である」とありました。
きっと山手線の言葉は一般向けに訳してあったんですね。

ということで、A4の1枚分。




********


「芸術とは何か」     

 パブロ・ピカソの名言のひとつに「芸術は、真理を悟るための、虚構である」とある。真理と虚構とは真逆の言葉のように聞こえるが、これはどう繋がっているとピカソは考えたのか。この名言を考えることで、芸術とは何かを私なりに考えていきたい。
 ピカソのゲルニカを例にとってみる。頭のみの牛、ちぐはぐな向きの目をした人、これらは完全に現実には存在していないものであり、つまり虚構が描かれていると言える。次に考えるのはピカソがなぜこのような絵を描いたかである。現代でこの絵を見ている私たちは、自由な発想のもとにこの絵の意味を想像する。しかし私たちの想像が作者のものと同じになるかはわからない。むしろ同じになることはない。ピカソの述べた真理というのは、作者と同じ答えを持つことを意味しないと言えるだろう。
 先に私たちの想像が作者と同じになることはないと断定した。それは、その人が生まれてから今まで背負ってきた背景が、ひとりひとり異なるからである。時代、国、文化が違うのは然ることながら、家族や友人一つとって違う。物事を判断する時には、自分の経験をもとに行うしかないのだから、知らないうちに持っている背景を影響させた思考をしているのである。しかし、芸術を見て絵の意味を想像することで、自分の背景を見直す契機となるのではないだろうか。
 絵を見て深く考えるうちに、自分が背景の生んだ固定観念を持っている事に気づくだろう。固定観念を開放しようとして考えを進めていけば、新しい発想に辿り着いたり、見えていなかった事柄に気付いたりすることができるだろう。そうして辿り着いた発想、見えてきた事柄のことを、ピカソは真理という言葉で表現したのではないだろうか。
 実際私がゲルニカを見た時に、直感的に「崩壊」の二文字が浮かんだ。身体のバランスも、顔のバランスも崩れ、中央に描かれているのもどこからが馬の体かわからない程図形的に描かれている。人間の手は非現実的に大きいが、力強く生き延びようとする人間らしい生命力を感じた。この感情を決める基準は主観的なものであるが、いかなる背景を持っていても人間としての喜怒哀楽は等しく持つから、根源的に絵から受け取る感情は作者と似てくるのだろう。このように率直に受け取った感情を頭の中で整理して、その芸術を見て考えたということを私の歴史の一部とすることで、自身の背景に新しい考えを加えることができるだろう。そうして思索をより洗練されたものとすることが重要である。
 芸術と向き合った時に、綺麗だなという感想だけでは、その芸術と出会えた機会を無駄にしていると言っていいだろう。その感想から一歩踏み込んだ疑問、比較、推量など、何かを得ようと芸術に向かう姿勢が必要なのである。芸術家が描いた虚構から、真理を見出すことが現代の私たちの為すべき作業であり、そこから得た真理を持って社会に反映させることや、後世に伝えていくことが、発展的に為すべき課題なのだと思う。現代の私たちとしては、芸術とは何か、これを念頭に置いて芸術と向き合うことで、芸術家が残した作品を主体的に受け取り、活かしていかなければならないのである。


書きあがってなんだか心がすっとするのは、なんでかな。
心の中を整理してあげる作業って、面倒なようで、きっと何より大切なことだね。

あなたは…


プロフィール

Chachaka

Author:Chachaka
絶対更新は少ないけど笑、よろしくお願いします♪
詳しくはコチラへ…

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク集

いつもおじゃましてます…♪

FC2カウンター

現在の閲覧者数:
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。